東急電鉄の住まいづくり

東急多摩田園都市のあゆみ

東急電鉄は1953年(昭和28年)の『城西南地区開発趣意書』以来“真に豊かな人間中心の街づくり”をめざして開発に取り組んできました。東急多摩田園都市は、東京西南部、東急田園都市線「梶ヶ谷〜中央林間」間の沿線地域の総称で、都心から15〜35kmにわたる緑豊かな丘陵地に広がる生活都市です。神奈川県の川崎市・横浜市・大和市、東京都の町田市と、4市にまたがる5,000haものエリアに約58万人(2007年4月1日現在)が暮らしています。

イギリスから始まった郊外田園都市

1800 年代の産業革命以後、イギリスでは都市への人口集中による住宅・下水道などの不足が都市機能の麻痺を引き起こしていました。郊外に生活の場を移した新都市生活が叫ばれる中、イギリスの社会学者エベネザー・ハワードは1898年にその著書「明日の田園都市」(THE GARDEN CITY)において、英国産業革命によって生じた都市の居住環境問題を解決する、新しい都市理論を発表しました。職住接近を目指した計画都市、その第1号がロンドン郊外のレッチワースです。

渋沢栄一はこの「田園都市論」に着目し、日本の田園都市開発に夢を抱きました。1918年(大正7年)に渋沢秀雄(栄一の子)が田園都市株式会社を設立。イギリスのレッチワースやアメリカのSt.フランシスウッドに視察に行き、開発理念やデザインを学びました。

田園調布の街並みは駅前から伸びる放射状の道路とその先につづく緑多い閑静な邸宅街が有名です。この放射状の道路は、渋沢秀雄がパリで見た凱旋門にインスパイアされ、設計に取り入れたと言われています。また道路両側のイチョウ並木は田園調布開発当時に植樹されたもので、毎年晩秋には美しい紅葉を楽しむことができます。

ロンドン郊外 レッチワースの写真
ロンドン郊外 レッチワース
旧田園調布駅舎の写真
旧田園調布駅舎

一通の意見書から始まった東急電鉄の街づくり

多摩田園都市開発の歴史は1958年までさかのぼります。ようやく戦後の混乱が収束し経済活動が活況を呈しはじめた当時、首都東京への急激な人口流入は大きな社会問題となりつつありました。東京の人口は年に50万人ずつ増えつづけ、無秩序に過密化が進み、公共公益施設が飽和状態になるのは時間の問題と考えられていました。こうした現状に対し、東急電鉄会長・五島慶太(当時)が住宅不足を解消するための方策として、多摩丘陵一帯を開発して“第2の東京”をつくるという大構想、いわゆる「城西南地区開発趣意書」を発表しました。

開発総面積5,000ha、民間事業としては我が国最大の規模である「多摩田園都市」の街づくり。 この一大プロジェクトが他の開発プランと異なるのは、単なる宅地造成にとどまらず、緻密な計画のもとに、地域全体の有効活用を図ろうと考慮・工夫されている点です。
そして、一民間企業が単独で事業を進めるのではなく、長年住み続けてきた地元の方々とともに力を合わせて街づくりを進める「土地区画整理事業」の開発方式を採用したことも特長です。
また、1966年の、東急田園都市線「溝の口〜長津田」間開通以降、街づくりと並行して路線を延長しています。
さらに、歩行者専用の道路を設けた「ラドバーン方式」や、自動車の通り抜けを排除する「クルドサック方式」の街路計画など、新しい試みも積極的に取り入れて、快適と安心を積み重ねてきました。

田園都市線開通(1966年)の写真
田園都市線開通(1966年)
沿線空撮(1966年頃)の写真
沿線空撮(1966年頃)

都市整備の量から質へ よりよりいっそう良好な街づくりを目指して

東急電鉄は1966年に「ペアシティー計画」、1973年に「アミニティプラン」を発表し、これまで都市の構造的な開発を進めてきたものを、住居都市として都市サービス施設や交通などを充実させ、よりいっそう快適で良好な街づくりをめざしました。1982年にはたまプラーザ駅北口に東急百貨店と70の専門店から構成する「たまプラーザ東急SC」が開業しました。

1988年発表の「多摩田園都市21プラン」では、道路や情報、サービス、景観などの街づくりの基本となる要素について、質と量の両方から見直しを図り、自立性の高い多機能都市を目指しました。 また1987年、たまプラーザ駅南口に開局した東急ケーブルテレビジョン(現iTSCOM)は、多彩なチャンネルとインターネット環境を誇り、楽しさと先進性に満ちあふれた生活提案を行っています。

たまプラーザ駅前(1974年頃)の写真
たまプラーザ駅前(1974年頃)
たまプラーザ東急SCオープン(1982年)の写真
たまプラーザ東急SCオープン(1982年)

歳月とともに成熟する「多摩田園都市」

美しい街並みが広がる「多摩田園都市」。それは、可能な限り自然の地形を残すと同時に、単なる住宅の集合体ではなく、邸宅全体がひとつの美しい景観となるような街並づくりが行われてきた成果によるものです。統一感を大切にしながらも、画一的にならないように、各住戸の外観を尊重しながら、シンボルツリーや生け垣で変化に富んだ表情を演出。電柱の地中化もすっきり端正な景観づくりの一端を担っています。
毎年春夏の2回実施されている「東急グリーニング運動緑のプレゼント」による苗木の配布も好評で、住民の方が庭や窓辺に植えた緑が、街の魅力をさらに深めています。

「グランベリーモール」「たまプラーザ テラス」をはじめとする新しいコンセプトのショッピング施設の開設、半世紀の長い歳月をかけて培った街づくりのノウハウをもとに、育まれた文化が次の世代へと永く継承されていくようなコミュニティづくりを目指しています。

駅上空からたまプラーザの街並みを望む(2005年)の写真
駅上空からたまプラーザの街並みを望む(2005年)
たまプラーザ駅前広場のイルミネーション(2002年)の写真
たまプラーザ駅前広場のイルミネーション(2002年)
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